1 はじめに
「白いぼうし」は、このお話の主人公であるタクシードライバーの松井さんの車に、おかっぱの 女の子が乗ってきたことから、松井さんが不思議な体験をする「ファンタジー」作品である。
ファンタジーは、一般的に、現実世界と非現実(「超現実」ともいう)の世界のお話で構成される。その構成とは、「現実世界」→「非現実世界」→「現実世界」である。
そしてその現実世界から非現実世界へと移行する際に、「入口(スイッチオン)」がある。
同様に、非現実世界から現実世界に戻る際にも「出口(スイッチオフ)」がある。
それらを加えると構成は、以下のようになる。
「現実世界」→入口(スイッチオン)→「非現実世界」→出口(スイッチオフ)→「現実世界」
これを私に教えてくださったのが、筑波大学附属小学校の青木伸生先生である。
今からちょうど 3 年前、その教えをもとにあまんきみこ氏の「白いぼうし」に当てはめて考え てみた。
2 「白いぼうし」に、非現実世界への「入口」と現実世界への「出口」はあるか
当初、私は「白いぼうし」には、「入口」と「出口」にあたるスイッチは無いと考えていた。なぜ なら、本文からでは、それらの存在がとても分かりにくいからである。
しかし、本文を再度読んでみると、ある一文が目に飛び込んできた。
そのある一文とは、「松井さんは、その夏みかんに白いぼうしをかぶせると、飛ばないよう に、石でつばをおさえました。」という文である。
そしてこの直後、「車にもどると、おかっぱのかわいい女の子が、ちょこんと後ろのシートにすわっていました。」という文が続く。
この箇所は、松井さんがその夏みかんに白いぼうしを被せた直後におかっぱのかわいい女の子がタクシーの中に現れて、また急に消えるという、普通ではあり得ない不思議なお話、非 現実世界が始まるところである。
私はこの松井さんの「夏みかんに白いぼうしを被せる」行為こそ、非現実世界への「入口(ス イッチオン)」に間違いないと感じた。
そう仮定すると、これに対応する「出口(スイッチオフ)」は、白いぼうしが松井さんか、誰かに 拾われて白いぼうしから夏みかんが出現するところのはずである。
だが、どう本文を探しても、これに対応する明確な「出口(スイッチオフ)」が見つからないの だ。「入口(スイッチオン)」のときのような明確な一文が存在し無いのである。
やはり、「白いぼうし」には、現実世界から非現実世界への「出口(スイッチオフ)」はないのか。 自問自答するか日々が続いた。
3 「出口(スイッチオフ)」は、存在しないのか
その後、私は本文を改めて繰り返し繰り返し読み返してみた。
すると、見つけけることができたのだ。松井さんによって地面に置かれた夏みかんを覆う白 いぼうしが拾われて、その姿が出現したことが分かる一文を。
本文には「出口(スイッチオフ)」として明確に文として書かれていないのであるが、実はきち んと存在していたのだ。いわゆる「行間」を読めば重要な一文がきちんと書かれてあったのが 分かるのである。
その重要な一文こそ、「すると、ぽかっと口をOの字に開けている男の子の顔が見えてきま す。」という文である。
この男の子が見せた、この表情。
いったい何を表しているのか。
これは、たけのたけお君という男の子の驚きの表情である。 本当のちょうちょに自分の白いぼうしを被せて捕まえておいたのに、いざ白いぼうしを拾い上げると、中からちょうちょではなく、夏みかんが出てきたのだ。だから驚いて、O の字に口をぽ かんと開けているのである。
この一文こそが、紛れもなく白いぼうしの中から夏みかんが出てきたことを証明する重要な 文であることが分かる。
ようやく本文から出口(スイッチオフ)は、ここだと決定することができた瞬間であった。
(後日分かったのであるが、光村サン・エデュケーショナル児童文学ライブラリーのDVD「白い ぼうし」には、この白いぼうしの中から夏みかんが登場する場面がしっかりと描かれている。)
4 深まる「白いぼうし」のなぞ
これで、入口(スイッチオン)と出口(スイッチオフ)がはっきりとした。
だがなんだかすっきりしないのである。まるで靴の中に入った小石のように、いやに気になっ て私の頭から離れないのだ。何が。
それは、「夏みかん」の存在である。
ご存知の通り、題名は「白いぼうし」である。だから、このお話の重要なアイテムであること は分かるし、白いぼうしがスイッチとして使われるのには納得がいく。
だが、なぜ夏みかんなのか。
それ以外のものではいけないのか。
そんな疑問がもやもやとして、ずっと私の心に残った。
5 夏みかんに隠された役割
夏みかんは、冒頭から登場している。あまんきみこ氏は、お客の紳士にこう言わせている。 「これは、レモンのにおいですか。」と。
その応答として、松井さんが「いいえ、夏みかんですよ。」と答えているのが導入部である。
その意味を考えている時、ふと頭をよぎったことがあった。それは、お話の始めからすでに
「夏みかんのにおい」が現実世界に充満しているということをである。
では、一方終わりはどうか。改めてこのお話のフレームを確かめたとき、なんと終わりの一文にも「車の中には、まだかすかに、夏みかんのにおいがのこっています。」とある。
このお話は、「夏みかんのにおい」で始まって、「夏みかんのにおい」で終わっている。
ということは、ファンタジー作品の入口(スイッチオン)と出口(スイッチオフ)を考えるとき、「夏みかん」として考えるのではなく、「夏みかんのにおい」と考えるべきなのではないか。
そう考えると、夏みかんのにおいを白いぼうしで遮断するときが入口(スイッチオン)で、その白いぼうしから夏みかんが出現したときが出口(スイッチオフ)で、においが放出されるという ことが言える。こう考えることで、改めて題名の「白いぼうし」と、この作品の「夏みかん」の役 割もよく分かると思うのだがいかがであろう。その構成をまとめると、以下のようになる。
現実世界(夏みかんのにおい有り)→入口(白いぼうしで夏みかんのにおいを遮断)→非現 実世界(夏みかんのにおい無し)→出口(白いぼうしから夏みかんのにおいを放出)→現実 世界(夏みかんのにおい有り)
6 終わりに
以上のように、「白いぼうし」の入口(スイッチオン)と出口(スイッチオフ)について述べてき た。これらを考えるに当たって、今更ながら物語に偶然は無く、作者が意図的に人物やアイテム を設定しているということがよく分かり、私自身とても勉強になった。
だが、車の中にはずっと「夏みかんのにおいがかすかに残っていたではないか」という疑問 が残る。車外においては、以上述べてきたような構成であるが、車内は、いかに。
終わりの一文に「車の中には、まだかすかに、夏みかんのにおいがのこっています。」とあるよ うに、車内では、充満していた夏みかんのにおいが「かすか」になったからこそ、松井さんには、 幻聴とも言える、シャボン玉のはじけるようなちょうの小さな、小さな声が聞こえたのであろう と私は考えている。皆さまのご批正をいただけたら幸いである。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
参考文献
〇青木伸生著/「思考と表現の枠組みをつくるフレームリーディング」/明治図書
〇野口芳宏編著/「鍛える国語教室」/特集あまんきみこ~その作品世界の授業法~/明治図書
〇あまんきみこ研究会編著/あまんきみこハンドブック/三省堂
〇第1弾!青木伸生先生の「文学教材深掘り」国語教室「白いぼうし&諸技術」Sunday オンラインセミナー/第1講座永田彰教諭提案発表「白いぼうしのなぞに迫る」/令和5年4月2日(日)関西実践国語授業づくり研究会主催
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